「ご先祖様に感謝する」とは

「ご先祖様に感謝する」というと、何人ぐらいの人に感謝しなければならないのか。私が今こうしてあることを「ご先祖様のおかげ」であると考え、それを感謝しなければならないのだとしたら、それはつまり、私が今こうしてあることを感謝する、つまり私(の人生)を肯定する、ということではないか。

つまり「ご先祖様に感謝しなさい」と言うことは「(あなたの)人生を肯定しなさい」ということで(自分の人生が肯定できないなら、なぜその人生があることを感謝しなければならないのだ?)、「幸福だと思いなさい、そう思ったなら感謝しなさい」ということだろう。そう考えることが幸福なのだろう。

私が今こうしてあることに寄与したこと、これはけっきょく「宇宙の全歴史」ということになるのではないか?複雑な因果連鎖のネットワークの帰結が、現在の世界を構成している、と考えるのではないか?となると、現在を肯定するなら過去もまた肯定するほかないのではないか?

「現在を肯定するなら過去もまた肯定せざるを得ない」(なぜなら現在と過去はつながっており、今あるすべてを構成したのは過去のすべてであろうから)それがどのようなものであったにせよ、その帰結として現在がある。

過去を否定するなら、現在も否定することになるのではないか?(なぜなら過去のすべてからの帰結によって現在がもたらされているのだと考えているのだから、過去が変化すれば現在もまたそれにつれて変化することになる)現在を完全に肯定するなら過去は否定できない。

過去(の部分)を否定することは、現在(の一部)が、今あるようにないことを許容するのでなければ不可能だろう。今あるすべてがそのようにあることをよしとしながら、過去(の部分)を否定することはできないだろう。別の過去からも今と同じ現在が帰結する可能性もなくはないとも言えなくもないが。